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熊本県大分県が、大変なことになってます。テレビニュースで阪神大震災を思い出し、兵庫県南部にいた当時を思い出し心が痛いです。21年前ですが、私自身のトラウマになっていたのを感じました。何もできませんが、被災に遭われた方々の心痛を今一緒に少しですが私は、感じています。

10年前に書いた文章です。



阪神大震災から11年、後世に伝えるために・・・・・テーマ:ブログ 阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・テーマ:ブログ 
阪神大震災から11年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。 
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。




あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年テーマ:ブログ 

あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。